2014年03月25日
おとうさん。
超お久しぶりです。
自分の気持ちの整理のために
久々に更新させてもらいます。
大好きな父が、亡くなって明日で1ヶ月。
ブログでも、ちょこちょこ登場した父。
昨年12月に腹痛を訴え、検査入院したところ
胃がんの末期でした。
主治医の先生から、画像を見せられたとき、
体が震えました。
父は生前から、
「人は病気で亡くなるんじゃない、寿命で亡くなるんや」
と教えてくれました。
たくさんの人の悩みや相談事を
本当に根気よく聞き、
「病」を助けることはできないけど
「気」を助けてくれる人でした。
そんな父が、まさか、癌になるなんて。
しかも末期で手術も不可能な状態。
瞬く間に痩せ細り、しゃべるのが
少し困難になってしまったころ、
私自身、どうしても気持ちがしゃんとせず、
以前から父がとても尊敬していた方に
姉と一緒に会いに行きました。
そして、
自分の今の心境を打ち明けました。
その方は、とてもあたたかい空気で
泣きながら打ち明ける私の話しに
耳を傾けてくださいました。
そして、
「あなたたちのお父さんとは、
いつまで生きるかじゃなくて、
『どう生きるか!』ということを
話し合っていました。
お父さんは今、ことばをしゃべれないけど
きっとその思いと静かに向き合っているか、
向き合おうとしているはずだと思いますよ。」
とおっしゃいました。
上手く表せないけれど、
この日私は、このことばに、心を救われました。
父が病に倒れた日から、
父に教えてもらった数々のことばを
毎日書いて日めくりカレンダーを作成していた私は、
その日(1月26日)のカレンダーには
「どう生きるか!」と書きました。
そして、自宅療養していた父の容態が本当に
厳しくなった日、兄弟全員が実家に集合しました。
その日の夜遅く、一番上の兄が、突然父に
「お父さん、ありがとう!」と言い出しました。
それを皮切りに兄弟全員、そして、母が
それぞれ、父に感謝のことばと
労いのことばをかけていきました。
ふだん、ほとんど涙を見せない
気丈な母が涙声で
「お父さん、ほんとにお世話になりましたー!
本当にありがとうございました!
来世でも一緒になってくださいねー!」
と言ったのには、本当にやられました。
涙、涙の時間でした。
父は、終始とっても穏やかな顔をして
静かに聞いてくれているように見えました。
そして、翌日の早朝、家族全員が見守る中、
父は眠りにつくように、
息をひきとりました。
2月26日でした。
とても多くの方が参列してくださった告別式。
私は完成させていた日めくりカレンダー31枚を
棺の中の父の体の上にバラバラに置いていきました。
その上にお別れの献花がどんどん入れられ、
日めくりカレンダーは全く見えない状態に。。。
いよいよ、蓋を閉めますという直前に、
すぐ上の兄が、
「さて、何が出るかな?」と言いながら
棺の中に手を突っ込み
日めくりカレンダーを1枚取り出しました。
なんと、奇跡的にも、父の命日になった
26日。「どう生きるか!」でした。
私たちは、
ことばを発することができなくなった父から
私たちへの最後のメッセージが
「どう生きるか!」ということだと受け取りました。
大好きな父の声や姿を本当に失ってしまった今、
本当に寂しくて、なかなか気持ちを切り替えられない
自分がいます。
時間はもう少しかかりそうですが、
父の残してくれた、ことばの数々を
だいじにして、
「どう生きるか!」というメッセージを胸に
少しずつ、前を向いていこうと思います。
おとうさん。。。。
本当にありがとう。
これからも
お父さんの大切なお母さんを
大切にします。
お父さんの娘でよかった。。。
来世もお父さんの娘にしてください。。。
自分の気持ちの整理のために
久々に更新させてもらいます。
大好きな父が、亡くなって明日で1ヶ月。
ブログでも、ちょこちょこ登場した父。
昨年12月に腹痛を訴え、検査入院したところ
胃がんの末期でした。
主治医の先生から、画像を見せられたとき、
体が震えました。
父は生前から、
「人は病気で亡くなるんじゃない、寿命で亡くなるんや」
と教えてくれました。
たくさんの人の悩みや相談事を
本当に根気よく聞き、
「病」を助けることはできないけど
「気」を助けてくれる人でした。
そんな父が、まさか、癌になるなんて。
しかも末期で手術も不可能な状態。
瞬く間に痩せ細り、しゃべるのが
少し困難になってしまったころ、
私自身、どうしても気持ちがしゃんとせず、
以前から父がとても尊敬していた方に
姉と一緒に会いに行きました。
そして、
自分の今の心境を打ち明けました。
その方は、とてもあたたかい空気で
泣きながら打ち明ける私の話しに
耳を傾けてくださいました。
そして、
「あなたたちのお父さんとは、
いつまで生きるかじゃなくて、
『どう生きるか!』ということを
話し合っていました。
お父さんは今、ことばをしゃべれないけど
きっとその思いと静かに向き合っているか、
向き合おうとしているはずだと思いますよ。」
とおっしゃいました。
上手く表せないけれど、
この日私は、このことばに、心を救われました。
父が病に倒れた日から、
父に教えてもらった数々のことばを
毎日書いて日めくりカレンダーを作成していた私は、
その日(1月26日)のカレンダーには
「どう生きるか!」と書きました。
そして、自宅療養していた父の容態が本当に
厳しくなった日、兄弟全員が実家に集合しました。
その日の夜遅く、一番上の兄が、突然父に
「お父さん、ありがとう!」と言い出しました。
それを皮切りに兄弟全員、そして、母が
それぞれ、父に感謝のことばと
労いのことばをかけていきました。
ふだん、ほとんど涙を見せない
気丈な母が涙声で
「お父さん、ほんとにお世話になりましたー!
本当にありがとうございました!
来世でも一緒になってくださいねー!」
と言ったのには、本当にやられました。
涙、涙の時間でした。
父は、終始とっても穏やかな顔をして
静かに聞いてくれているように見えました。
そして、翌日の早朝、家族全員が見守る中、
父は眠りにつくように、
息をひきとりました。
2月26日でした。
とても多くの方が参列してくださった告別式。
私は完成させていた日めくりカレンダー31枚を
棺の中の父の体の上にバラバラに置いていきました。
その上にお別れの献花がどんどん入れられ、
日めくりカレンダーは全く見えない状態に。。。
いよいよ、蓋を閉めますという直前に、
すぐ上の兄が、
「さて、何が出るかな?」と言いながら
棺の中に手を突っ込み
日めくりカレンダーを1枚取り出しました。
なんと、奇跡的にも、父の命日になった
26日。「どう生きるか!」でした。
私たちは、
ことばを発することができなくなった父から
私たちへの最後のメッセージが
「どう生きるか!」ということだと受け取りました。
大好きな父の声や姿を本当に失ってしまった今、
本当に寂しくて、なかなか気持ちを切り替えられない
自分がいます。
時間はもう少しかかりそうですが、
父の残してくれた、ことばの数々を
だいじにして、
「どう生きるか!」というメッセージを胸に
少しずつ、前を向いていこうと思います。
おとうさん。。。。
本当にありがとう。
これからも
お父さんの大切なお母さんを
大切にします。
お父さんの娘でよかった。。。
来世もお父さんの娘にしてください。。。